助成者インタビュー

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車いすテニス

橘 龍平(たちばな りゅうへい)さん

2007年生まれ 千葉県出身

障がい者スポーツ支援

インタビュー:2023/08/31

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インタビュー第3弾は、車いすテニスの次世代注目選手、橘龍平さんです。
小学1年生の時に車いすテニスに出会うと、日本が世界の強豪である車いすテニスのジュニア部門で頭角 を現し、12歳で国内ジュニアランキング1位に到達します。
生まれた時から二分脊椎の障がいがある橘さんは、現在は千葉県の高校に通う15 歳。「得意教科は数学 で、ルービックキューブが趣味。テニスでも先読みしてプレーすることが好きです」とあどけない笑顔で話します。
2023年に当財団の助成を受け、岐阜OPEN(ジュニア)優勝、KANPO JUNIOR OPEN 2023優勝、仙台OPEN(ジュニア)優勝など輝かしい成績を残し、世界で活躍する選手になるべく着実にステップアップした橘さん。今回は、車いすテニスの魅力から9歳のときに掲げた計画の達成状況、今後の大きな夢まで存分に語ってもらいました。
インタビュー:2023年8月31日

競技にハマったきっかけは絶対王者のプレー

子どものころからサッカー経験のある父親の影響でスポーツを観ることが好きでした。幼少の頃は公園で父親や幼稚園の友だちとサッカーをしたりして楽しかったことを覚えています。僕は生まれたときに二分脊椎と診断され、下肢に運動機能障がいがありますが、幼少時は装具をつけて歩いていました。就学前、病気の悪化により、車いすに乗るようになり、翌年、小学1年生のころテニスに出会います。

当時通っていた地元の小学校には車いすに乗っている先輩が2人いたのですが、その2人が車いすテニスクラブに通っていて競技をやっていたのです。そこで、『一緒にやらないか』と誘われ、体験会に参加したのが、僕のテニス人生の始まりでした。
そもそも自分が始めるまで車いすテニスという競技があることは全く知りませんでした。車いすテニスを始めて数ヵ月後、父親からトップのプレーを観に行こうと誘われます。向かったのは、千葉県柏市で行われていた日本マスターズです。そこで目にしたのが、車いすテニスのパラリンピック金メダリスト、国枝慎吾さんのプレーでした。僕はまだボールがネットを越えるように打つことで精いっぱいというレベルだったので、国枝さんのテニスに度肝を抜かれました。球の質や打球の音に迫力があり、車いすテニスってこんなに高いレベルでプレーできるんだ、と魅了されたのです。この日を境に、どんどん競技にハマっていきました。

先読みして試合を組み立てる醍醐味

競技をはじめてから、すぐにラリーができるようになったわけではありません。最初は柔らかいボールから打ち始めて、少しずつ打てるようになっていき、初めて試合に出るようになったのが小学4年生のころです。いくつかのジュニアの大会に出場し、勝てるようになって小学6年生のころには世界で戦う自分をイメージできるようになりました。

車いすテニスは、日常用の車いすよりも軽量でタイヤがハの字になっている競技用車いすを使用してプレーします。僕が初めて自分の“テニス車”をつくったのは小学5年生のときです。それまではクラブにあったものを借りていましたが、日本国内のツアーを回ることになったタイミングで自分のテニス車を購入しました。
テニスは相手がいるとはいえ、自分でボールをコントロールして、試合を組み立てることができる。それが僕がこのスポーツの楽しいと思うところです。ラケットを持つ手で車いすを漕ぐのはすごく忙しいけど、その分、自分の実力にすべてがかかっているわけなので、やりがいがあります。次の展開を読んでプレーするのも楽しいです。
僕は、小さいころからパワーがなかったので、パワーがなくても試合で通用する選手になれるように試合の組み立てを工夫しています。試合が始まってから相手をコントロールして自分のペースに持ち込み、ポイントとポイントのあいだの間(ま)も自分のものにすることで試合を有利に進めています。

世界のトップで活躍する同世代からの刺激

現在は高校に通いながら、部活の代わりに車いすテニスクラブに通うような毎日です。練習は週4回ほど。平日は19時から約2時間練習しています。
週末、多いときは隔週で遠征です。父か母と車で行くこともありますし、空港まで送ってもらい、ひとりで参加することもあります。やはり地元だけだと打ち合える人も限られますし、全国の皆でひとつの大会に集まって打ち合えるっていうのは何より楽しいです。そこで勝って、今度は海外に行くぞと気合いも入ります。国内で活躍するジュニアのなかで、同じ高校1年生が7人ほどいますから、刺激になりますね。

この競技において日本は世界の強豪です。国枝さんが引退したあとに世界ランキング1位になった小田凱人選手は僕の一つ年上で、小学5年生の時、当時ジュニアカテゴリーでプレーしていた小田選手と対戦し、ストレート負けしました。球の威力があって、選手たち皆で「なんだあの選手、化け物だ!」と話していたのですが、同じ大会に出ていた選手が今世界のトップで活躍しているのを見ると、ただすごいと思うのではなく、自分もあれくらい強くなりたい、と励みになります。

助成を受けた2023年の活動に関して

僕には9歳の時に掲げた目標があり、これまで「国内のジュニアランキング1位」「強化指定選手になる」「国際ボーイズランキング20位以内」と一つひとつ達成し、階段を上がっているところです。今年は目標だった国内のITFジュニア主要大会で3冠を達成しました。来年は四大大会グランドスラムの全米オープンに設けられたジュニアの部で優勝することが目標です。
そして夢は、「国際ボーイズランキング1位」(世界ランキング1位のジュニア)」になることです。

その目標を達成するために、取り組んでいるのが新しい車いすを乗りこなすこと。以前乗っていた競技用車いすは体の成長とともに小さくなり、最後はお尻がキツい状態で使用していたのですが、今年6月に財団の助成金を充てて競技用車いすを新調しました。
新しい車いすは、幅や高さなどすべてオーダーメード。たとえば、僕の場合、腕の長さを最大限活かせるように座面を高く設定しています。また、座る位置を若干後ろにするのが今のトレンドなので、あとで前後の調整もできるようにしつつ、】やや後方に座れるような作りにしました。以前の車いすはフルオーダーメードではなかったので、今、自分にフィットしたテニス車でプレーできていることがすごくありがたいです。

目標はプロ選手になること

車いすテニスは年々レベルが上がっており、より健常者のテニスのレベルに近づいていっていると思います。そんな中で僕がプレーする車いすテニスは、障がい者のテニスではなく、車いすテニスという一つの競技として見てもらえたらいいなと思っています。
将来は、テニスで勝つことで賞金をもらって生活するプロ選手になりたいと思っています。車いす部門は健常者の大会と比べて賞金額が違う(少ない)けど、将来的には車いすテニスで賞金を獲得することができればすごいことだと思いますし、やはり目指すのであれば、トップの中のトップを目指したいという気持ちです。

大きな目標としては、パラリンピックの金メダル獲得を目指しています。ただ、今は焦らずに一つずつ積み上げていきたい思いです。18歳になる前に、ITFジュニアマスターズ大会で優勝する。まずはそこを目標に掲げて練習に励んでいきたいです。見てくださる方に「応援したい」と思ってもらえるような選手になれるよう、成長していきたいと思います。

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初めて車いすテニスの試合を観戦した日に、この競技のレジェンドである国枝さんに一緒に撮ってもらった写真を今も大切にしているという橘さん。プロ選手になりたいという夢も、先人たちが切り拓いてきたからこそ、描くことができたそうです。「国枝さんは道をつくってくれてから競技を辞められた。本当にかっこいいです。僕もプロ選手になって、国枝さんに報告したいです」。今年の好成績を受け、12月には国際大会に派遣されることが決まった橘さん。今後の活躍に期待が高まります!