助成者インタビュー

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スノーボード スロープスタイル・ビッグエア

森井 姫明麗(もりい きあら)さん

2006年生まれ 愛知県出身

次世代育成

インタビュー:2022/09/07

インタビュー企画第二弾として、スノーボード スロープスタイル、ビッグエアで活躍中の森井 姫明麗さんにお話を伺いました。
2021年と2022年に当財団の助成を受け、国内での日々練習はもちろんのこと、海外遠征も多く経験し着実に実力を付け、2023年2月14日に開催された、国際スキー連盟公認ALTS BANDAI BIG AIR by Hoshino Resorts2023では、名立たる選手を抑え、ビッグエアで優勝を果たしました。
「スノーボードも学校も家族で過ごす時間も全部楽しいです!」とキラキラした笑顔で話してくれた森井さんは現在愛知県内の学校に通う高校2年生です。小学校3年生から競技としてスノーボードを始め、6年生でプロ資格を得るまで、駆け上がるように突き進んで行った彼女ですが、小学校6年生で突発性側弯症を発症と、これまでの道のりは決して平坦なものではありませんでした。
今回、スノーボードを始めたきっかけから、突発性側弯症のこと、競技への向き合い方、将来の目標についてお話いただきました。

 

お兄さんの背中を追いかけて始めたスノーボード

幼少期から両親は家族で過ごす時間を大切にしてくれて、四季折々で色々なアクティビティーに連れて行ってくれました。冬のレジャーとして2歳でスノーボードを始め、5つ上のお兄ちゃんが競技としてスノーボードをしていたことに影響を受け、私も小学校3年生から競技として始めました。他にも習い事をしていたのですが、スノーボードがとにかく楽しかったのを覚えています。

小学校5年生くらいから本格的に大会に出場するようになり、小学校6年生の時に全日本選手権大会において、ビッグエアとスロープスタイルの両方で優勝したことでプロの資格を得ることができました。最年少での2冠達成、小学校6年生でプロ資格獲得と異例続きだったと思いますが、優勝できたことでスノーボードがより楽しくなり、もっと頑張っていこうと思いました。

恐怖心を乗り越えた先に見える世界

スノーボード スロープスタイルは、斜面に連続的に設置された複数のジャンプ台やレールなどの障害物のあるコースを滑走し、トリックを組み合わせて総合滑走能力を競います。
ビッグエアは、キッカーと言われるジャンプ台から飛び出し、空中で技を披露する競技です。回転数が多く、空中でボードをグラブ(板を手で持つ)すると難易度が上がり、評価が高くなります。ビッグエアのキッカーは国内大会でも10~20ⅿほどあり、自分の身長の何倍もある大きなキッカーに挑むことは、恐怖心が勝ってしまうことが多くありました。そのため、ジャンプ練習施設等を活用して目標のジャンプが出来るまでは幾度となく練習を重ね、良いイメージを持って雪上での練習に臨みます。練習してきた技を雪上でできた時の喜びは、とても大きいです。

私はフロントサイド1080(利き足を前にして飛び、踵で踏み切って左に3回転する技)を得意としており、回転中にボードをグラブできることも強みとしています。今、たくさんの練習を重ね、それを自信に変えて大会に臨んでいます。自分で決めたことは最後までやり通すことで、誰かと競い合うよりも、私にできる最大のパフォーマンスを披露することに集中できるようになりました。

突発性側弯症との闘い

小学校6年生の時に出場した全日本選手権大会で背中を痛めてしまい、痛みがなかなか治まらなかったので、念のため病院で背中レントゲンを撮ったところ、背骨がS字に蛇行していることが分かり、突発性側弯症との診断を受けました。結局、背中の痛みは打撲で軽傷だったのですが、医師から側弯症の方が深刻な状況ですと言われ、湾曲の角度が大きくならないように手術を勧められました。側弯症自体は痛みも全くなく、それまで自覚症状もなかったので、当時の私はその状況を深く理解できていなかったのですが、家族でこれからどうするか話し合いをしている時に、お母さんが泣いているのを見て、自分の体に起きていることが大変なことだということに気づきました。

側弯症の手術を受ければ、スノーボードは続けられなくなりますが、私にはスノーボードを辞めるという選択肢は一切ありませんでした。医師に相談し、症状の悪化を防ぐために脇から腰まである特注のコルセットを24時間付けなければなりませんでしたが、生活の中でお風呂と練習を含めた6時間だけ外せる時間を作ってもらい、1日に4、5時間と限られた中で練習やトレーニングをする日々を続けました。今は、高校生になり、成長も落ち着き悪化する可能性は低いと言われ安心していますが、定期的に病院に行き、今でも1日に何時間かはコルセットを付けて生活しています。

助成を受けた2021年、2022年の活動に関して

2021年、2022年ともに財団の助成金をアメリカ遠征に使わせていただきました。アメリカへは20泊と長期滞在となり、宿泊代にプラスして航空券、リフト券にレンタカー代と費用がかさみますが、助成金を利用してトップランカーが集まる環境に身を置くことができ、世界大会に出場していく上でとても大切な経験をすることができました。

私は、スノーボード代表入りを目指しており、国内・海外大会でしっかりと成績を収めることがとても重要になっています。特に海外遠征はとても大事で、キッカーや障害物の大きさも日本とは全く違い、海外では世界基準の高さや難易度を経験することができます。キッカーの高さも20mを越えるものが多く、経験したことのない高さに挑戦することは、恐怖心や思ったような滑りができないもどかしさを感じることもありますが、どんなに高いキッカーでも怯むことなく、どんどん挑戦する海外の選手からもたくさん刺激を受けました。海外遠征は、技術的にも精神的にも私をレベルアップさせてくれました。

森井姫明麗の個性を表現できるスノーボーダーを目指して

最大の目標は、2026年ミラノ・コルティナダンペッツォオリンピックにおいて、ビッグエア・スロープスタイルの両方で金メダルを獲得することです。2025年までに代表チーム入りを果たして、オリンピック出場までの可能性をぐっと縮めていきたいと思っています。得意種目がビッグエアに偏りがちな所があるので、スロープスタイルも一つ一つの技が丁寧で、回転方向のバリエーションが多い、表現力が豊かな選手を目指したいです。もちろんビッグエアも現状に満足することなく、回転数を上げたり、技の難易度を向上させることが、これからの世界大会では不可欠だと思っています。

私が目指すのはただ上手な選手ではなく、誰が見ても森井姫明麗と分かるような滑りができる選手になることです。上手な選手は個性に溢れていて、フルフェイスでも誰が滑っているか分かるんです。私も、見てくださっている皆さんの目に森井姫明麗のパフォーマンスを焼き付けられるようなスノーボーダーになりたいと思っています。

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姫明麗さんがスノーボードを始めるきっかけとなった、お兄さんの海琉樹(みるき)さんです。シーズン中はお兄さんの運転で車中泊をしながら、日本各地を回っています。 時々ケンカをしてしまうこともあるそうですが、海琉樹さんはお兄さんとしてコーチとして、誰より姫明麗さんの長所を知り、どうやったらもっと輝くことができるのか、どうやったら素晴らしいスノーボーダーになれるのかを常に考え、姫明麗さんの最強のコーチとしてサポートしてくれています。姫明麗さんが歩む、オリンピックへの道のりをこれからも楽しみに、ご活躍を心より応援しています! (撮影協力:岐阜県 鷲ヶ岳スキー場)